やる気でない日記

浪人生です。本当にやる気が出ないし勉強もできないので呪詛を吐き出します。

勉強を全放置 課題について

 更新が遅くなりました。

 今日も今日とて勉強をせずに過ごしてしまいました。もはや浪人生とは何かを見失っています。

 

 

 多くの受験生の中でもやる気が出ない人の多くは将来に役立たないと思って勉強をやりたくなくなることが多いと思います。しかしそれは間違いで、大抵の勉強は確実に役に立つし、大学に行くための勉強であったとしても、その時点で将来の役に立っているからです。

 世の中いたるところに数学が使われているし、理科を知っていれば多くのことに疑問を持たなくなるでしょう。国語や英語ができればいろんなソースに触れられて生活が豊かになるだろうし、社会科を学んでいれば世の中で損をする可能性はぐっと減りますよね。

 

 ここまで思っていながら、なぜ私は勉強ができないのか。正直私にもはっきりわかりません。

 県下ではそれなりの進学校(自称進学校)に来ていたわけですから、客観的に見ても、もともとはそれなりに学習能力もやる気もあったはずなんですよね。

 ただ単に受験勉強をやる気がないのであればさっさと専門学校に行っているし、学びたいことがないのであれば高校の最初からそういう行動をして就職しています。

 現状は果てしなく嫌ですし、打破したいとも思っているのにこうもやる気が出ないのははっきり言って異常です。

 例えるならば、崖に追い詰められて絶体絶命の状況下にあるのに、なんとなく落ちても何とかなるかなーと思いながら今まさに落ちようとしている。そんな感じなんですね。

 もがけるはずのところでもがけない。足搔こうとも思えない状態なんです。

 

 まあ普通の感覚でしたら結局のところ、「甘えるな」というところなんでしょうが…

 

 今日はここら辺を分析していこうかなと。以下は思考の垂れ流しです。

 

 私がどんどん変になっていったと感じる分岐点があります。高校一年生の夏休み、その宿題ですね。毎日やらなければ終わらない量の宿題。真面目にやればいいだけの話。日々、コツコツとやっていけばなんてことはない量。

 ですが私にとっては耐え難いものでした。自分がやっておきたい勉強ではなく自分が苦手としている範囲でもないものをわざわざ問題を解いてまで、貴重な時間を使ってまでやらなければならない。そんなことは時間の無駄だと思ってしまったんですね。

 宿題が私にとってやるべきものではなく、やらなければいけないものになったのはこの瞬間でした。

 

 結果的にいくつかの宿題を踏み倒した私はその後もどんどんと宿題をやらなくなっていったのです。

 やらなければいけないものをやらないとどうなるのか。今振り返ってみればその後、私は罪悪感を感じ、それがどんどん大きくなっていったように思います。しかし、私の頭の中のやりたい勉強、強化しておきたい科目とのズレは日増しに大きくなっていきました。

 自称進学校の宿題は決して多いと言えるものではなかったでしょう。しかし少ないものでもなかったのです。ここで自己中心的にどんどん勉強を進めていれば今のように沼にもはまっていいなかったかもしれませんが、次第に私はやりたい勉強とやらなければいけない宿題の板挟みに耐え切れなくなっていきました。どちらかを選択してしまえば精神的にも将来的にも楽になるのに、どっちつかずのまま段々と自分が何をやっているのかわからなくなっていったのです。

 そして完全にやる気を失った私は勉強もできなくなりました。

 しなくなったのではなく、ここまできて正しくできなくなっていったのです。最初は原因不明の頭痛から始まりました。そして吐き気や眩暈、朝布団から起き上がれなくなる等の症状が表れ始めたのです。

 最初はその症状から偏頭痛ではないかということで神経内科に通っていましたが、むしろ状態は悪化していきました。その後精神科に通い始め、症状がほとんど改善されない中、現状の維持に成功し、無理やり登校して卒業までありつけたのです。

 その当時は毎朝が地獄でした。思い出したくないほどには。

 

 まあ自分語りはここまでなのですが、私の元気を著しく奪っていったのは勉強ではなく宿題であり、今もその療養をしているという所ですね。

 宿題が原因ならもう大丈夫なんじゃないのと思われるかもしれませんが、浪人生にとっての毎日は宿題の終わってない夏休み最終日であるということは以前言った通りです。

 

 ここまでで結局何が言いたいのかと言いますと、本来課題というものは個々人に合わせて一つずつ階段を上がっていくように仕向けるもののことを言うのだと私は考えています。それはやらなければいけないものではなく、やることによって自身に明確なメリットがあると信じて行うものでなければならないはずです。

 学校のシステム上それはどう足搔いても無理。そんなことはわかっています。小学生や中学生がそんなこと考えながらやる方が無駄が多いし難しいでしょう。

 ですが、高校生にとってそれは大きな足枷になると私は考えます。

 高校生になれば自身で課題を設けた方がはるかに効率的であるからです。その理由としては進学校である場合、志望校の違いがあります。模試だけでなく学校の定期試験においても学校が定めている平均レベルと個人の目指すべきレベルの差は確実に存在しています。

 この場合、これを完璧にすれば定期テストでは九割以上をとれるはず、といった意味不明な基準で課題を出されればどうなるか、考えずともわかります。

 真面目な生徒やキャパシティが大きく上回る生徒は間違いなくこなしてくるでしょうが、そうではない生徒は「やらなければいけない課題」に取り組まざるをえなくなるのです。

 結果として最底辺には答え写して提出だけするマンとノー勉マンが生まれてしまうわけです。

 多くの場合、勉強はしてるけど課題はやってないし出さない。点は取る。なんてことはありえませんよね? 彼らは膨大な課題の中に自分が最低限やらなければならないものが含まれていても、全体を見てやりたくない、できないと思ってしまうのです。

 そう、出された課題や宿題は「やりきらなければ評価されない」ものなんですから、至極当然ですね。

 そしてこんなことを声高に言ったところで、できている人がいるのを見て先生方はこう思うわけです。「お前が怠けているだけだ」

 

 自分はできるからお前もできる。なんて考え方は傲慢です。

 ですがこの場合では、できる人もできない人も最初の設定を間違えているにもかかわらず、多くの場合怠けているという風に思い込んでいるのです。

  上を目指しすぎて困ることは確かにありませんが、それが原因で腐る人間なんて山ほどいます。

 

 私が通っていた自称進学校では課題が多かったと感じていますが、有名な進学校になるほど課題というのはほどほどの量になるという風な話も聞きます。

 それがただ単に彼らのキャパが大きいだけなのか、本当に少ないのかは判断しかねますが。レベルに即していることは確かでしょう。

 要するに学校という場であっても全体的な学力の低めのラインに合わせ課題を出すことによって、能力が高い者たちは自分の勉強に回せる時間が増えるし、能力が低い者たちも無理なく課題をこなしてストレスをためることもなくなるわけです。

 しかしこうしてしまうと能力が高いものが怠け始める可能性もあるのが面倒なところです。だから学校の先生って大変だってはっきりわかんだね。

 

追記

 結局のところ最適解なんて存在しませんが、私の理想は課題なしの完全自己責任。これに尽きると思いますね。

 課題出されてはじめてできる人間よりは自分で考えて行動する人間の方が優遇されてほしいし、出された課題をこなす癖がついてしまうと大学での研究とかクッソ手間取るでしょう。

 その点では学習塾とか本当に滅びてほしいですね。クソ人材を生み出すのは塾ですよ? 結局のところできるやつは塾行かないでもできますからね。

 与えられた課題をこなし決められた問題を解くことが長いこと求められる小中高からいきなり大学や職場に出て役に立つわけないでしょう。教育システムと受験システム、そして受験ビジネスを考えたやつは本当に戦犯ですね。